東京地方裁判所 昭和51年(ワ)477号 判決 1981年9月30日
原告
浅木良江
外八名
右原告ら訴訟代理人
井上恵文
大嶋芳樹
吉岡寛
水野正晴
被告
国
右代表者法務大臣
奥野誠亮
右指定代理人
野崎彌純
外三名
主文
一 原告らの請求をすべて棄却する。
二 訴訟費用は、原告らの負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判<省略>
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 本件事故
(一) 本件事故の発生
訴外亡浅木優(以下「亡浅木」という。)及び同亡中野洋一(以下「亡中野」という。)は、いずれも海上自衛隊第三航空群第一一航空隊所属の自衛官であり、訴外亡近藤忠雄(以下「亡近藤」という。)は、海上自衛隊鹿屋教育航空群第二〇四教育航空隊所属の自衛官であつたところ、昭和四四年八月二〇日午後〇時二〇分ころ、右第一一航空隊所属の自衛官訴外中西啓(以下「中西機長」という。)を機長とするS2F-1型対潜哨戒機(一一-四一四一号機、以下「事故機」という。)に搭乗勤務中、同機の墜落事故により死亡した(以下「本件事故」という。)。
(二) 本件事故に至る経過
(1) 事故機は、右事故当日、「昭和四四年度航空集団術科競技対潜水艦競技の部」に参加するため、亡中野が副操縦員、亡浅木が機上電子員、亡近藤が術科競技審査員としてそれぞれ搭乗し(なお、右のほか訴外亡中原熊人が機上電子員として搭乗していた。以下同訴外人を「亡中原」という。)、中西機長操縦のもとに同日午前一〇時五二分、千葉県下総航空基地を離陸し、その後間もなく右競技発動点である同県勝浦燈台の上空に到着した。
(2) 事故機は、午前一一時四〇分、競技統裁機から、「競技開始」の指示を受け、高度一〇〇〇フィート(約三〇〇メートル)、速力一四〇ノット(毎時約二六〇キロメートル)で競技海面である千葉県勝浦沖に向かい、午前一一時五二分、同沖に到着した。
(3) その後、事故機は、速力を一六二ないし一六三ノット(毎時三〇〇ないし三〇二キロメートル)に増速し、競技海面の中心に向かいながら、レーダー捜索(レーダーを使用し、潜水艦を捜索することをいう。以下同じ。)を実施していたところ、午後〇時一四分、航行中の潜水艦をレーダーにより探知し、直ちにその調査に向かい、午後〇時一六分、潜水艦の直上を高度二〇〇フィート(約六〇メートル)で飛行しながら潜水艦に対する攻撃(手続きのみ)を行い、その後再び、潜水艦の直上を飛行して攻撃するため左旋回する途中、潜水艦が潜航した。
(4) そこで、事故機は、午後〇時一七分から、再び潜水艦の潜没直上を飛行しながら、潜水艦を追跡するため、事故機のフラップ(主翼に取り付けられた揚力を増す装置をいう。以下同じ。)を三分の一下げ、バンク角(機体の左右の傾きを量的に表したもので、水平面と機体の左右軸との間の角度)を三〇度、速力を一一五ノット(毎時二一三キロメートル)とし、航空磁気探知器(潜航中の潜水艦を探知するための磁性物体の存在を探知する機器をいう。以下同じ。)により潜水艦を探知し、潜水艦の予想針路に向かつて、高度一二〇フィート(約三六メートル)、半径五〇〇ヤード(約四六〇メートル)のらせん航路による追跡を行つた。
(5) 右追跡中、事故機が、二回らせん状に旋回し、三回目の左旋回において、潜水艦の予想針路に平行となつたところ、中西機長は、航空磁気探知器による探知を予測し、操縦桿の右上部に装置されている発煙筒発射スイッチを右手拇指で押し、発射できるように準備しながら、左手で操縦桿を支えていたところ、突然操縦桿に「ぐぐつ」と圧力がかかつたので、操縦桿を軽く右に舵を取り支えたが、次の瞬間、左主翼端から「すとん」と落ちるような感じで、事故機のバンク角が垂直に近い位深くなつた。
この異常事態に対し、中西機長は、事故機のバンク角を回復し、機首が下がらないようにするため、副操縦士である亡中野とともに、操縦桿を右一杯及び後方に引き、ラダーペダル(方向舵を操舵するための足踏みペダルをいう。以下同じ。)を右一杯に踏みつつ、エンジンの出力を増して、事故機の飛行姿勢の回復に努めたが、操縦桿が重く、バンク角が約三〇度位まで回復したとき、事故機は、左主翼端から接水し、午後〇時二〇分ころ、千葉県野島崎東方約一一〇キロメートル付近の海上に墜落し、その結果、中西機長は、救助されたものの、亡浅木、亡中野、亡近藤、亡中原は、同所で死亡し、事故機は千葉県勝浦八幡崎燈台の一三一度四二マイル(七八キロメートル)付近深さ約三〇〇〇メートルの海底に水没して回収不能となつた。<以下、事実省略>
理由
第一国家賠償法一条一項、二条一項に基づく請求について
一まず被告の消滅時効の抗弁について検討する。
1 <証拠>を総合すれば、原告佳代・同良太郎の法定代理人兼原告本人である良江、原告本人正光・同せい子・同二千代及び原告智之・同雅之の法定代理人兼原告本人である紀子(以下右の原告良江、同正光、同せい子、同二千代、同紀子及び原告佳代・同良太郎の法定代理人良江並びに原告智之・同雅之の法定代理人紀子を一括して「本件原告及びその法定代理人」という。)は、本件事故当日である昭和四四年八月二〇日、その発生を自衛隊から通知されて知つた事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。
右事実によれば、本件原告及びその法定代理人は、本件事故の日である昭和四四年八月二〇日、亡浅木、亡中野、亡近藤の死亡を知つたもので、同日、本件損害を知つたものと認められる。
2 国家賠償法四条により適用される民法七二四条所定の「加害者ヲ知リタル時」とは、加害者に対する賠償請求が事実上可能な状況のもとに、その可能な程度に加害者を知つたときと解すべきところ、<証拠>を総合すると、本件事故により亡浅木らと共に死亡した亡中原の遺族は、本件原告ら訴訟代理人でもある井上恵文弁護士(以下「井上弁護士」という。)及び同法律事務所のその他の弁護士を代理人として、昭和四七年八月一六日、東京地方裁判所に対し、本件被告を被告として、本訴中の国家賠償法に基づく請求に関する部分と同一の責任原因を主張して、本件事故による亡中原の死亡につき国家賠償法一条一項、二条一項に基づく損害賠償請求訴訟を提起(同裁判所昭和四七年(ワ)第七〇〇七号事件)し、翌四八年一二月二二日、同裁判所において被告に対し同法二条一項の責任が認められて勝訴判決を受けていること、右訴訟は、当時自衛隊遺族会の会長であつた訴外田中義信(以下「訴外田中」という。)の勧めと同人による右井上弁護士の紹介があつて提起されたものであるところ、訴外田中は、亡中原の遺族に右訴え提起を勧める際、本件原告及びその法定代理人に対しても共同提訴を勧めていることが認められ(亡中原の遺族による右訴え提起の事実は当事者間に争いがない。)、右認定に反する証拠はない。また、<証拠>によれば、本件事故については自衛隊によつてその事故調査がなされたが、本件事故機が水没し回収不能であるため特定の要因を事故の原因として判定するに至らないという結果に終つたため、被告から亡中原の遺族や本件原告及びその法定代理人に対し、本件事故原因につき説明がなされたことはないこと、本件事故の状況につきその詳細を知る者は、中西機長、事故調査担当者等の少数の自衛隊関係者にすぎないことが認められ(右認定を覆すに足りる証拠はない。)、右事実に前記認定の亡中原の遺族が前記訴訟を提起したのが訴外田中の勧めを受けたためである事実を勘案すると、亡中原の遺族において本件事故の状況につき本件被告を被告として不法行為に基づく損害賠償請求訴訟を提起しうると知るに至つたのは訴外田中の勧めの結果、すなわち同人の説明によるものと推認することができ、訴外田中が、右の際、本件原告及びその法定代理人に対して、被告に対する不法行為に基づく損害賠償請求訴訟の提起をすすめている事実に照らせば、本件原告及びその法定代理人は、訴外田中から亡中原の遺族と同様の説明を本件事故状況につき受けたものと推認され、右推認を左右すべき証拠はない。そして、右の当時、本件原告及びその法定代理人と亡中原の遺族の両者とが本件事故についての事実関係(その原因を含む。)の知識、認識を異にしていたことを認めるべき資料は何もない。以上によれば、本件原告及びその法定代理人は、遅くとも亡中原の遺族が前記訴訟を提起した昭和四七年八月一六日には、被告を本件事故の加害者として認識していたもので、その程度も損害賠償請求が可能な程度に達していたものと認めるのが相当である。<証拠判断略>。
3 従つて、昭和四七年八月一六日から三年を経過することによつて、被告に対する、国家賠償法一条一項、二条一項に基づく原告らの、本件事故についての損害賠償請求権は、消滅時効の完成により消滅したものといわなければならない。
二もつとも、本訴が昭和五一年一月二三日に提起されたことは当事者間に争いがなく、被告が本訴の第三回口頭弁論期日(昭和五一年六月七日)において右の消滅時効を援用したことは記録上明らかであるところ、原告らは、被告の右時効の援用は権利の濫用である旨主張するので、次にこの点につき検討する。
国家賠償法四条は、「国又は公共団体の損害賠償の責任については同法の規定による外民法の規定による」旨規定して民法七二四条の適用を定め、被告が国である場合にもこれに対して同条による消滅時効の援用を認めているのであるから、債務者である被告において、債権者である原告らに対し欺罔的態度に出る等信義則に反するような方法でその権利行使をさせなかつた等の特段の事情のない限り、被告による時効の援用は、何ら権利の濫用に当たるものではない、と解するのが相当である。そして、本件においては、前認定のとおり、原告らは、亡中原の遺族と共に、あるいはその後においても右消滅時効の完成前に、被告に対して、損害の賠償を請求することが可能であつたのであり、他方、被告において欺罔的手段を用いる等して右の請求をさせなかつた等の特段の事情を肯認すべき資料は何もないから、本件における被告の時効の援用をもつて権利の濫用に当たるものということはできない。
(なお、原告らは、被告による時効の援用が権利の濫用に当たるとする根拠を種々主張しているが、右に判断した点を除くその余の点は、前記認定のとおり、被告においても本件事故の原因を確知しえなかつたこと、また、被告が原告らに対し別表2の1ないし3記載のように賞じゆつ金等を支払い(この事実は、当事者間に争いがない。)国家賠償法に基づく損害賠償はともかく、被告としても、原告らに対する救済を放置していたわけではないことに照らせば、前提を欠くかあるいは要するに立法論にすぎないのであつて、少くとも、以上の事実関係のもとにおいては、原告ら主張のように、権利濫用を理由づけるものとはなしがたい。)
三以上によれば、原告らの国家賠償法一条一項、二条一項に基づく損害賠償請求は、その余の点について検討するまでもなく、理由がない。
第二安全配慮義務違反に基づく請求について
一請求原因1(一)(本件事故の発生)の事実は当事者間に争いがない。
二ところで、国は、公務員に対し、国が公務遂行のために設置すべき場所、施設若しくは器具等の設置管理又は公務員が国若しくは上司の指示のもとに遂行する公務の管理に当たつて、公務員の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべきいわゆる安全配慮義務を負うものであるが、本件のように、上司の指示のもとに、操縦士である自衛隊員が機長として乗務し、かつ、自ら操縦する自衛隊の航空機に、他の部下である自衛隊員を公務として同乗させる場合においては、右の操縦士である機長は、右の部下であり、かつ、同乗者である自衛隊員に対する国の安全配慮義務につきその履行補助者となるものというべきである。そして、国の安全配慮義務の具体的内容は、当該公務員の職種、地位、遂行すべき公務の内容、安全配慮義務が問題となる具体的状況等によつて異なるものと解すべきであるが、右のような、上司の指示のもとに、操縦士である自衛隊員の操縦する自衛隊機に、他の自衛隊員を公務として同乗させる場合の国の同乗員に対する安全配慮義務の内容は、十分に訓練されて適正な操縦をなし得る技能を備えた操縦士を選任配置し、かつ、その運航を誘導すべく適切な航空交通管制を実施すること等につき周到な配慮をなすのとあわせて、構造上・整備上瑕疵のない航空機を使用させることにあるものと解するのが相当である。しかし、それはまた必ずしも常に、現実にその業務を担当する者の注意義務の内容と一致するというわけでもないのであつて、右の現実の業務担当者が国の安全配慮義務の履行補助者である場合には、履行補助者としての義務違反ないしその不履行があるかどうかの問題と、当該業務担当者に、履行補助者の立場とかかわりない義務違反ないしその不履行があるかどうかの問題とは、これを区別して考えるべきものである。
従つて、現実の業務担当者の義務違反が当然に国の安全配慮義務違反となるものではない。そして、前記機長である操縦士は、同乗員の機内における行動を管理して、航空機の運航中における操縦等に危険が生じないようにすべき点において、国の履行補助者の地位にあるのであるが、操縦士の操縦行為そのものには、何ら他の同乗員に対する管理作用を含んでいないから、右操縦士の操縦行為そのものにつき右操縦士が国の安全配慮義務の履行補助者となることを考える余地はなく、それゆえ特段の事情のある場合は兎も角として、一般には、操縦士に操縦上の過失が存したとしても、そのことにつき別途不法行為法上の責任を生ずるか否かは別として、国の安全配慮義務に欠けるところがあるものとすることはできないのである。
三原告らは、本件事故の原因が、事故機を操縦していた中西機長の操縦上の過失ないし事故機の操縦桿系統の整備上及び構造上の瑕疵にあつたものとし、この点において被告に安全配慮義務違反があつた旨、選択的に主張するので、以下この点について考える。
1 請求原因1(二)(本件事故に至る経過)の事実は、当事者間に争いがない。
2 <証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。
(一) 本件事故発生後、海上自衛隊は、海上自衛隊幕僚幹部監察官を委員長とし、整備操縦関係の専門委員三名外五名の委員をもつて構成する航空事故調査委員会をして本件事故の原因の調査を行つたが、右委員会は、事故の実態を明らかにし、航空事故の防止に資することを目的とし、事故に関する自衛隊員の責任追求を目的とするものではなく、その調査方法は、各専門委員が担当の調査事項につき調査の上、資料を持寄り検討し、結論を出すというものである。
(二) 本件事故は、海上で事故機が墜落したというもので、事故機は深さ約三〇〇〇メートルの海底に水没して回収不能であるため、機材の欠陥等の裏付けとなる物的資料は何もなく、又目撃者も現場から約8.8キロメートル離れた地点にいた護衛艦乗員一名であり、しかも同人も事故機が旋回中海面に墜落した事実を目撃したにすぎず、レーダーによる監視も行われていなかつたため、主に事故機の搭乗員中で唯一人生存している事故機の操縦者中西機長の言と、点検記録等事故機の整備状況に関する記録、事故機の経歴をまとめた来歴簿等が、右調査の資料とされた。
(三) 右調査においては、乱気流等の特異な気象条件も事故原因として検討され、その可能性は排除されなかつたものの、薄いとされた。
(四) 右調査における中西機長の言は、大要、当時潜水艦を捜索するため磁気探知機を使用し、事故機の速力を一一五ノット、高度を一二〇フィート、フラップを三分の一下げパンク角三〇度で左旋回中、操縦桿にグーと来る様な感じがしたので直ちに右方向に操縦桿を修正したところ、途端に左翼がすとんと落ちる形でバンク角が深くなり、操縦桿が重いので副操縦士と共に右方向に操縦桿を修正したところバンク角が三〇度位に戻つたところで事故機が海面に接触、水没したというもので、その言の内容自体からは、操縦上の過誤は認められないと判定された。
(五) 又、右調査上事故機に関しても、整備記録等の資料からは、本件事故発生につながる不具合発生状況は発見されなかつた。
(六) 右調査委員会は、その調査の結果を航空事故調査報告書に作成しているが、その事故原因に関する結論は特定の要因を本件事故の原因として判定するに至らないが、①機長の操縦操作上の過誤、②機材の欠陥による左主翼フラップの吹き上げのいずれか、又はこれらの複合の可能性があるというものであり、中西機長の操縦操作上の過誤は、同人の言の上からは認められないが、低空における飛行に際しては、操縦士が自覚しないあるいは関知しないところで操縦上の過誤が生ずる可能性があるとの理由から事故原因の第一要因とされたものであり、又、航空機の揚力を高める装置であるフラップの吹き上げの原因としては、その連結桿の破損の可能性が一番強いとされた。
以上の事実が認められ<る>。
3 そしてその他の原告らの全立証あるいは本件全証拠をもつてしても、本件事故の原因を積極的に認定するに足りず、この点に関する有力な資料が他に存することを窺うこともできない。もつとも証人中西啓は、当裁判所において、事故機の操縦に関し、右2の(四)と同旨の証言をし、その操縦方法は、<証拠>(飛行準則)及び<証拠>に照らし過誤等は認められない如くであるが、<証拠>及び前認定の事故調査委員会の結論によれば、本件事故機と同型のS2F-1型対潜哨戒機は、昭和三二年ころから、米国より供与を受け、その後現在に至るまで海上自衛隊において使用されているが、右の結論において他の一方の推定事故原因となつている、連結桿の破損によるフラップの吹き上げによる事故は、これまで海上自衛隊のみならず、我が国及び事故機を製造し、かつ、これを我が国に供与した米国においても例がなく、飛行中に右を原因とする事故の発生する蓋然性は極めて少ないとの事実が認められる(右認定に反する証拠はない。)のであつて、右の事実に照らすときは、直ちに右中西証言をもつてその操縦上の過誤の可能性を否定することはできない。
4 ところで、中西機長の操縦上の過失は、それが存するとしても、前記のとおり、特段の事情のない限り、このゆえに被告に安全配慮義務違反が存するものということはできないのであるが、本件全証拠によるも右の特段の事情の存することをうかがうに足りないばかりでなく<証拠>によれば、中西機長は、昭和三一年八月四日海上自衛隊に入隊し、翌年第四期乙種普通科航空学生を命ぜられ、昭和三五年四月以来本件事故機の同型機であるS2F―1型対潜哨戒機の操縦士として約一〇年間の飛行経歴を有し、本件事故当時までに合計二八五八時間余の、S2F―1型対潜哨戒機につき約二三〇〇時間の飛行時間を有する経験豊富な練達のS2F―1型対潜哨戒機操縦士であつて、事故当日の乗務についても睡眠は十分で疲労もなく心身ともに問題は在存しなかつたことを認めることができ、他に右認定を左右するに足りる証拠はないから、当時被告としては、十分に訓練されて適正な操縦をなし得る技能を備えた操縦士を選任配置していたものということができるのであつて、この点においては被告の安全配慮義務の履行に欠けるところがない。
5 また、構造上、整備上瑕疵のない航空機を使用させることについても、前記のとおり、事故機と同型のS2F―1型対潜哨戒機は、昭和三二年ころ米国から供与を受けて以来現在に至るまで使用されているが、この間、同型機の飛行中の連結桿破損によるフラップの吹き上げ事故があつたことは、海上自衛隊のみならず、米国においても例がないし、また、<証拠>を総合すると、海上自衛隊においては、被告主張の航空安全のための管理体制のもとに、航空機等整備規則、航空機等整備基準に基づき、被告主張のとおりの整備組織、整備方式が整えられていること、そして、事故機についても、右の整備組織、方式のもとに、被告主張のとおりのオーバホール及び移管点検、定期検査、定時点検、飛行後点検、飛行前点検が実施され、本件事故当日も、整備員による所定の点検項目についての飛行前点検が実施され、更に右の飛行前点検後、中西機長ら搭乗員により所定の点検項目について飛行前点検が実施されたが、その際、事故機について格別の異常は認められなかつたこと、なお、本件事故の二日前である昭和四四年八月一八日、事故機の飛行中、潜水艦捜索のための機器である磁気探知器について不具合が生じたが、右の磁気探知器は、事故機の航行機能の安全に影響を及ぼすものではなく、かつ右同日中に、当該部品を交換のうえ、修理が終了していたことのほか、事故後における航空機点検記録、航空機定期検査記録、定期整備記録、航空機に関する不具合発生状況記録、航空機来歴簿によつても本件事故発生につながる不具合発生状況は発見できなかつたこと、等が認められ、右認定を左右すべき証拠はない。
判旨6 以上によれば、被告は、本件事故時において、これまで問題がなく、きちんとした点検整備も行われた後の、整備上、構造上瑕疵のない航空機を使用に供していたものと認めることができ、右認定を左右すべき証拠はないから、この点からすれば、本件事故機についても、事故発生という結果から遡つてなされる前記事故調査委員会の前記結論とは別に、被告の安全配慮義務の履行については何ら欠けるところはなかつたとの判断が導かれる可能性もあるのであつて、そうとすれば、この点に関して被告に安全配慮義務違反の責を問うことはできないわけである。
7 これを要するに、結局本件においては、被告において、構造上、整備上瑕疵のない航空機を使用させる、という被告の安全配慮義務が尽されたか否かが、その検討されるべき最後の問題であるということになるが、以上までに述べたところから明らかなように、本件では、原告らの全立証その他本件全証拠によるも被告の右義務が尽くされなかつたことについての原告らの立証は十分でないことに帰着するものといわなければならない。
8 以上によれば、被告の安全配慮義務違反を主張する原告らの損害賠償請求も、その余の点について検討するまでもなく、理由がない。
第三結論
よつて、原告らの本訴各請求は、いずれも失当であるから、これをすべて棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(仙田富士夫 清水篤 土屋靖之)